少年漫画家志望のみなさんへ

少年漫画家志望のみなさんへ。
「解離性同一障害に学ぼう!」
人は誰でも物語の主人公です。これは比喩ではありません。どんなにがんばっても自分を中心にしか置けないという意味です。
あなたは今作品を書いています。主人公がいて脇役がいる。ですが上の言い方でいえば脇役もまた彼の人生においては主人公なのです。その視点をちゃんと持って書いていますか?たとえば映画とかのスピンオフ作品。あなたの脇役はスピンオフ作品で主人公を張れますか?主人公として活躍できるだけの魅力がありますか?
と書くと、あなたはこう思うかもしれません。だったら別個の人格をそれぞれ作って、一つの物語に結集させるのですか?と。もちろんそういうやり方はありなんですが、そちらはかなりの力量が必要です。やはり少年漫画の場合、まずは主人公を立て、次にその主人公に対して、できるだけ主人公を否定することが出来る人間を配置する、あるいは肯定する人間を配置する、そういうふうに作る方がいいと思います(その方が物語の太い幹が見え、物語の終わりに対する予感を読者に示しやすいからです。もちろん他にも良い点はありますが)。
精神病の解離性同一障害(多重人格)という病気はまさにそれをやっていると思います。彼(女)は自分という主人公に満足できず、別の登場人物を出してきます。敵であったり味方であったりするわけですが、主人公(私)から出発するという意味において、まさに少年漫画家的なやり方だと思います。
そしてもうひとつ彼(女)が少年漫画家的だと思うことがあります。それは登場人物が見事にステロタイプだということです。ここでいうステロタイプは否定的な意味ではありません。わかりやすいという意味です。たとえば解離性同一障害の患者が初めての医者に会う。医者は落ちついた態度で患者を見る。そんな態度は気に食わないので、患者は医者を緊張させたくて新しいキャラを出す。たとえば粗野で荒っぽい男を。ココで大事のは医者が「こいつ、粗野で荒っぽい」とすぐにわかることです。医者がわからないでスルーされたら、せっかくの人格が無駄になってしまいますから。そしてこの医者こそが少年漫画では読者にあたるわけです。もちろんこのときの緊張こそがドラマそのものなわけです。
しかしこれだけでは、ステロタイプなキャラの登場というだけです。ステロタイプでつまらないという可能性もあるわけですし、我々が欲しいのはステロタイプで魅力的という登場人物のはずです。では解離性同一障害の患者はどうやって医者(読者)を惹きつけようとしているのか?
それは「ディテイル」と「反作用」だと私は思うんですが、それについてはまた。


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