BL漫画 少年漫画家志望家のみなさんへ

少年漫画家志望のみなさん。
昨日はぴんと来なかったですか?
でもあれって実は「登場人物の名前の付け方でその書き手がダサいのかダサくないのかすぐにわかっちゃう」って話だったんですよ。名前のつけかたで、作家のセンスがばれるという。え?全然わからね?そうですね。順を追って説明しますね。
たとえばBL漫画で「うわ!なんじゃ!この主人公の名前は!イタい!」ってのがあるでしょう。あれは1、私が男だから納得できない。2、BLファンなら納得できる。3、BLファンにこそ納得できない。4、誰が見ても納得できない。この4つがあると思うんですが、こうやって分類するだけで私が言いたいことがもうわかるでしょう。え?まだわからない?じゃあ、これは?
男と男の激しい愛を描くBL漫画の主人公二人の名前が、すし太郎と、もちのすけだったら。
これはセンスがいいのか?はい。この名前で、一切笑いなしで、読者のまなこもあそこも、びしょびしょにしてくれるんだったら、そりゃもうセンスがいいですよ。すごい力技だもの。これでわかりましたね。え?まだ?ていうかますますわからない?では昨日のところから戻りましょう。
名前と言うのは不思議だ。本来名づけられない「私」というものをたった一言でまとめてしまう。これは恐ろしい。このシステムは恐ろしい。だって恣意的で勝手気ままで理不尽なシステムだから。そこでこのシステムは、この恐ろしさを私たちに気づかせないために、名前には意味があるんだよと我々を騙してきた。結果、名前にはあるイメージが生まれた。かわいい名前。男っぱい名前。古い名前……。
はい。ここまではいいですか。この論理は昨日の部分です。後半は昨日書いてませんが、実はここを読んでほしかった。で、さらに進めます。
ではこのかわいい名前とか男っぽい名前とかはどうやって決まるのか?私が決めるのか?そうではありませんね。システム側が決めるのですね。ではシステムはどうやって決めてるのか。答え。なんとなく。
そうなんですよ。ここなんですよ。この「なんとなく」をちゃんとわかっているかどうかがセンスなんですよ。センスがいいというのは自分を磨くことじゃなくて、自分の外側にある「なんとなく」を感じることができるかどうかなんですよ。
悠真、陽翔、蓮。結菜、葵、結衣。
これは明治安田生命の「赤ちゃんの名前ランキング100」の去年の実際のランキングベスト3です。つまりこれが今の若い親たちのセンスです。示し合わせたわけではなく、むしろ人と差をつけるのが名づけなのに、それでも「ふふふ」的な傾向が出てしまう。つまり親たちは差異化しようと必死で考えていたはずなのに、結局は「なんとなく」というシステムにからめとられているわけです。
当然のことながら、昨日書いた通り、ここでの親の名付けと、漫画家が登場人物に名前をつけるのはまったく同じ作業です。さっきも言ったけど、漫画家にとってのセンスとは、システムのなんとなくを感じることができるということで、つまりはベスト3はこの辺りに来るだろう、50位ぐらいはこんな名前だろう、この手の仕事をしている親はこんな名前をつけるだろう、あの手の仕事はあんな名前をつけるだろう、それがわかるということです。
で、当然私が言いたいことは、名前だけで終わりません。そうです。物語こそが「なんとなく」側からの要請だということです。物語もまた誰かが欲してるのではなくて、名前と同じように、今そのもの(つまり「なんとなく側」「システム側)」が欲しているわけです。それに応えたり、反抗したりすることが、漫画家のセンスになります。というわけで「名前のつけかたでその作家のセンスがわかる」というところへたどりつきました。
念のため、ちょっと別の言い代えもしておきますね。今、システムは、名前だけでなく物語にも「祐真、陽翔、蓮」的なもの「結菜、茜、結衣」的なものを求めている、という言い換えです。あ、勘違いしないで下さいね。この名前を主人公につけろという意味じゃないですよ。いやつけてもいいけど(だって何度もいうけど名前は恐ろしいからね、名前が物語を作ってくれるのは確かなんだけど)。だからそれもありなんだけど、とりあえずこの文章の主旨がはっきり見えるように言うなら、祐真という文字と音に託されたものを、物語にスライドすることができたら、きっとヒットするだろうということです。もちろんこれは逆もありますよ。システム側に抗うこともまたヒットすることになります。
BLって普通の物語以上に(とくに性愛のシーンで)必ずと言っていいほど、互いの名前を言いあいますよね。「なぜなんだろう?」って思ったことがある人はシステムに抗うことが出来る人なんでしょうね。もちろんシステム側どっぷりの作家もいいんですけどね。憑依タイプの作家はたしかにいますし、それはある意味でシステムを体で理解してるってことですから。だけど憑依タイプって、どっか笑っちゃうのも事実ですが。イタコがそうですよね。外から見ると滑稽だったりする。
しかし、すし太郎と、もちのすけを主人公に出来るのは、実は憑依系の、システムを意識しない漫画家なんでしょうね。システムがわかる人は、結局、言い訳するからな。
「すし太郎、その火を飛び越えて来いよ」「もちのすけ、お前が飛び越えて来いよ」「じゃあいっしょに飛び越えるか」「もちのすけってバカだな、一緒にだったら、ちょうど火のところでぶつかっちゃうじゃん」「そっか、俺はバカか」「そんなバカなもちのすけが好きだ!」「うおー!!オレもすし太郎が好きだ!」「あちちちち!」「あちちちち!」
終わります。


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