アーサー・ビナード

文字が怖いのは誰でも知っている。そのなかで最も恐ろしいのは固有名詞だ。ためしに「鈴木」と書いて部屋に貼ってごらんなさい。目が覚めて、ベッドから起き上がると目に入る「鈴木」。ほら、怖い。鈴木が嫌な上司だとか、鈴木に以前いじめられたとかは必要ない。だが怖い。だから怖い。「鈴木」。
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理屈を言えば、「鈴木」は固有名詞でありながら全然固有じゃないからでしょうね。だから隆志より鈴木のほうが怖い。名前より姓の方が抽象度があがるから。だって男か女かさえわからないんだよ。「性をもたない鈴木」。固有といいながら日本で二番目に多いわけだし。「二番目に多い鈴木」。あ、年齢もわからないのか?「5歳だか78歳だかわからない鈴木」。かといって完璧に抽象でもない。確実にイメージがある。だがその像は結びきれない。結びきれないのに明朝体でしっかり黒く「鈴木」。
しかしながら固有名詞と良い勝負ができる普通名詞もないわけではありません。たとえばあなたが彼のアパートに初めて遊びに行くとする。その壁に「孫」と貼ってあったらこれは怖い。彼は弁護士志望。司法試験をがんばっている。今日も午前2時まで勉強した。疲れてふと目を上げる。そこに「孫」。ゴシックで赤く「孫」。トイレには小さく「曾孫」。
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坂本龍一の『本本堂未刊図書目録』(シリーズ週刊本6 朝日出版社 1984)は架空の本の図書案内で、著名な人物に装丁を頼みその図版を載せているのがウリの本だが(たとえばジャン・リュック・ゴダールの『午前3時17分のズレ』は赤瀬川原平)、そのなかにアーサー・ビナードの『日記帳・全7巻』(装丁は沼田元気)が出てくる。え?あの人ってそんな昔から有名人?と思ったら、ピーター・ビアードの間違いだった。ふふふ。全然違うじゃん。ちなみにアーサー・ビナードでもピーター・ビアードでも『日記帳』が刊行されたら私は買うと思うなあ。