堀井憲一郎『やさしさをまとった殲滅の時代』

私はダメな人間である。と思うのは、そう思える自分が上位にいるわけで自己肯定である。と思うこともまた自己肯定である。と思うことも自己肯定である。と思うことも……。
いや、冗談をやりたいわけではない。この問いを最初から否定するのが一神教で、つまりこの問いは神様がやりますからと一蹴し、この問いが延々続くのが仏教なのかもしれない。当然のことだがこの問いを続けて行けば、意味は200回目ぐらいに飛んで行き、ただただリズムだけが残り、クラクラしてくるだろう。そのクラクラこそがこの問いに勝つ方法なのかもしれない。
×  ×  ×
堀井憲一郎『やさしさをまとった殲滅の時代』(講談社新書 2013)読了。
バブルの狂騒は「こんなことは以前はなかった」という過去から来たのではなく、「こんなことが続くわけがない」という未来の視点のせいだった、という堀井の意見は達見だと思う。ここには二つの意味が見いだせる。私たちはこれで案外未来がどうなるか察知している。だが察知してるのは感情まででそのあとの備えはちっともしない。

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