井川意高『熔ける』

ホームチームのファンが3割、アウェイチームのファンが2割、残りの5割は審判のファン、という観客席。
×  ×  ×
井川意高『熔ける』(双葉社 2013)
非常に面白く読んだ。
正直な本だと思う。犯罪者が書いた本はどんな反省があっても自己肯定があるが、これもまたしかり。とは言っても、自分を書くという作業は誰でも全部自己肯定だとも言えるわけで、ここでは「奇妙な」と形容詞をつけよう。言い代えれば、肯定すべき場所と否定すべき場所が凡人とちょっと違うのだ。おそらく彼に「この本は何のために書いたの?この本を読んだ人はどういう感想を持つと思うの?」と聞くと、笑ってしまう答えが返ってくる気がする。つまりそういうちぐはぐさ。言いかえれば純文学がとりあつかってきた領域と対極にあるのかもしれない。純文学が上だと言ってるわけではなくて、反対に文学はこういう人物を内側からは書いて来なかったんだなあという反省か。とはいっても『人間失格』の内面と逆なので「これは私のことを書いている」と誰も思わない。
あるいはこうも言える。編集の手が入ってない。いや実際に入ってるかどうかはどうでもいいのですが、さすがに文学だともうちょっと担当者は言うでしょう。ギャンブルの部分が全然書けてないし、芸能人との交友自慢も、佐野眞一批判もいらないし、母のこと、妻のこと、子供の事とか全然出てこないし、今、ギャンブル依存はどうなのか?刑務所のなかでは我慢できるのか?刑務所の中だって明日の天気を使ってギャンブルは出来るぞ、そう持ちかけられたらどうする?20億賭けられないからしないの?そうなの……的な、読みたいことが全然書かれていない。著者は国語が得意な東大卒なのだから、ぜひ読者の気持ちを考えて書いてほしかったと言いたいところだが、そういうのがなかったからこそ正直な本なのだろう。ギャンブルの部分が書けてないと言ったのも、ひりひりはらはらの心情がないと言うことで、きっと本人にとってはたいして面白くないことだったのでしょう。心ではなくてあくまで脳のヒリヒリなんだろうなあ。
つまりはそこを面白く読みました。

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録

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