少年漫画家志望のみなさんへ つづき

クマをクマで比喩することはできない。
その白クマはまるで白クマのように見えた。これは成立しない。
それでは一昨日の続きを。あ、解離性同一障害からアプローチしようと思ったけど、かえってややこしくなると気付いたので、順序を入れ替えます。とは言っても着地点は同じ。
×  ×  ×
あるキャラクターを、ステロタイプ(わかりやすい)で、同時に魅力的にするにはどうしたらいいか?私は「ディテイル」と「反動」が必要だと思う。
まずは「ディテイル」について。たとえば危険な男。ディテイルといえば、むき身のナイフを持っているとか、顔が傷だらけとか、そういうことだと思うかもしれないけど、たしかにそれも最初は必要なんだけど、でもそれだけで終ると魅力的にはならない。危険が危険、クマがクマになるから。
ではどうしたらいか。ディテイルの意味に「瑣末なこと」「つまらないこと」があるように、どうでもいいと読者が思った(油断した)事柄を使うと良いと思う。それを使うとディテイルになるんだと思う。たとえばその危険な男はメガネをかけている。読者はそのメガネが危険に繋がるとは思ってない。だがそうではなかった。そのメガネこそ実は!(あとは考えてね)。
もうひとつの「反動」について。たとえば残酷で冷血な男。これって100%そうだと、むしろ残酷で冷血に見えない。ここもさっきと同じ。クマがクマだから。そこで残酷でない部分を示す。たとえば残酷なのは人間に対してだけで小鳥は大好きとか、平日は残酷だけど土日は家族サービスするとか。残酷以外の20%を示すことで、それが反動となり、残酷の方に力が足され、100%が120%になる。面白いですね。つまり残酷でない部分があるほうが残酷だってことだ。
ここで前回書いた解離性同一障害に戻って、彼(女)から学びましょう。まあ順序を逆にしたので、上に書いた指摘の補強になりますが。
まずは先に「反動」について。これはもうわかりますね。解離性同一障害そのものが「反動」なのだと。今まで目の前にいたかわいい女性があっというまに粗野な男に変わる。そのシステム自体が反動になっている。最初から最後まで粗野な男が登場するのとは意味が違う。変わることが120%になるわけです。よってここで学ぶべきはその鮮やかさでしょうか。反動を使う場合、少女から少年よりは、美少年から醜悪の老婆がいい。そういうベクトルの向きを意識して作れってことでしょうか。
次に「ディテイル」について。解離性同一障害の彼(女)はディテイルの材料を実際にあった出来事(過去)から使っています。当り前ですね。だって病気なんだから。あくまでそのせいで病気になったから。たとえばこんな感じ。患者は子供の頃どうしても水曜日の幼稚園に行けなかった。なぜか。水曜日はウサギの世話の当番があったのだ。ウサギには人参を上げる。だけど彼(女)は人参が嫌いだった。人参を食べなさいと義母に激しく言われていたから。つまりそこにはウサギでなく義母がいた……。そしてその粗暴な人格は医者に言う。「ウサギを連れて来いよ。今すぐ俺が殺してやるぜ、いや連れてくるのは義母でもいいけどな」
ふふふ。恥ずかしくなるぐらいステロタイプだ。ごめん。だけどこれをあなたが事実として聞いたなら、このディテイルには力があるはずです。
え?だったら参考にならないんじゃないの?って、あなたは言いますか?はい、そうですね。少年漫画は事実じゃない。たとえばサッカー選手をモデルにした実録漫画とかもありますが、言っちゃ悪いけどほとんどつまらないでしょう。なぜか。事実だから。そうなんですよ、漫画になったとたん、事実はつまらなくなるんですよ(ただし漫画の枠を外して事実だけを見れば違う。でも主人公がそれほど本人と似てない漫画だとなかなか枠を外せない)では何を学ぶことが出来るのか?事実はつまらないということか。はい。それもあるんですけど(それをわからない編集者もいるしなあ)、ここではあくまで魅力の作り方でしたよね。で、これもまた答えは先に示しました。「事実」(現実)イコール「つまらないこと」という置き換えです。そうなんですよ。解離性同一障害の彼(女)が事実を使ってディテイルを作るように(まあ作ってるわけじゃないけどね。あくまで病気のせいで作らされてるわけだけど)少年漫画家はつまらないことを材料としてディテイルを作るんです。実際、現実ってつまらないでしょう?そのつまらないものに少年たちは日ごろ慣れ親しんでいるわけで、それが別の意味をおびれば、結果その登場人物も魅力的になるわけです。ただのメガネだと思っていたら実は!……てことですね。それができれば、読んだ少年はみんなメガネをかけたくて仕方なくなるでしょう。あなたが書いた漫画のせいでクラスの男子は全員メガネですよ。(これは言いかえれば、つまらない現実が漫画によってつまったっていうことです)
で、ここでちょっと違うことを。
たしか長谷川伸が「登場人物たちに頭で台詞を言わせるな。腹から言わせろ。腹から出た台詞を書け」と言ってました。これっていろんな解釈が出来るけど、まあ漫画を描く人ならピンと来ますよね。そしておわかりのとおり当然作者とダブりますね。作者が頭で考えて物語を作るんじゃなくて、腹から作れってことですから。もちろん一方でキンキンに頭は醒めているんだけどね。
で、解離性同一障害に戻ります。彼(女)に我々が学ぶべきことは実はここが一番大事なことなのかもしれません。つまりさっきちらっと書きましたが、彼(女)は理屈で病気になったわけじゃないわけです。仕方なく病気になったわけです。そのせいで彼(女)は腹からキャラ(症状)を出しているわけです。出すのを我慢することは出来ない。出さずにはいられない。どうしようもないもの。それが少年漫画家として学ぶべきものかもしれません。そこをまさにキモ(腹?内臓?)に銘じるべきだと思います。
最後にひとつ。
ここであげた解離性同一障害は比喩的に用いてます。でも比喩的だからこそ、本質は外していないと思います。ただ基本を知らないと、この文章の反語的で挑発的な部分が伝わりにくいかもしれません。興味がある人はちゃんと根っ子を勉強しましょう。とはいっても、私は、以前はほとんど日本で見られなかったこの症例が、劇場型犯罪の増加と同じ時期に増えてきたことに、繋がりがあるとは思っていますが。
×  ×  ×
おまけ。解離性同一障害の人って「謎の老人」とか出すのかな?
「立ち去れ、この場から立ち去るのじゃ」とか言うじいさん。
ふふふ。出てきたら楽しいな。もしそういうことがあるなら、医者も「飽きてきたなあ。そろそろあの謎のじいさん出てこないかな」と待ち望むだろう。

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