鳥肌と発疹

つまみで頼んだ炙りシメサバに当たった。シソンヌの海鮮鍋コントのように、飲んでる途中で、腕も太もも、もうかゆくなりだした。
×  ×  ×
太宰治の辞書』読了。最後の一行を読んで鳥肌が立ち(しめサバが当たる前のかゆくない腕)、静かに本を閉じた。
「私」が榊原さんの昔を思ってこみあげるシーンがある。これは読者である私の気持ちと一致する。私は「私」のように、「私」の昔を思う。そしてそれはまた私自身の過去を想うことでもある。16年ぶりの新作は私の16年間を思うことでもあるのだ。いや、そうではないか。私が思う起点は1989年か。北村薫がこのシリーズでデビューした年だ。そして私がこの世界に入った年でもある。あれから26年経った。今人生はどのあたりだろう。秋か。冬か。だが(いやだからこそ)私は「私が思ったように」「春を」思って、春を待ちたい。
(カッコつけすぎだなあ。でも腕は発疹だらけで、ぼりぼり掻きながら打鍵したので、それを思っていただければ、中和されると思います)

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