グレゴリ青山

グレゴリ青山『もっさい中学生』
友引の日に葬式は良くないと言うのは知っていた。だけど『精神医療に葬られた人びと』(織田淳太郎 光文社新書 2011)を読んでいたら、友引の日に退院を決めたという文章が出てきた。ゲンを担いで、まだ入院してる人々のために「友を引く」ように退院するのだと。「あっ」と思った。そして「ああ」と思った。
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グレゴリ青山が好きだ。ずっと読んできた。
「キミがグレさんだね。ボクはキミの本を読むと旅に出たくなるよ、いや出たことはないんだけどね、パスポートもないし、へい、マスター、彼女にも餃子を」なんてことを『王将』のテーブルで蝶ネクタイの紳士に1000回は言われたんでしょうね。もちろん彼女には旅もの以外の作品もたくさんある。純粋な創作もある。あのころの中学生を扱った『もっさい中学生』(メディアファクトリー 2008)も旅モノではない創作だ。だけど私は行きたくなったなあ。私のあのころに。パスポートないけど。
学校帰り、棒を手にした私とキュードンは犬のフンを捜す。見つけると我先にと棒で突きさし、逃げるジュンジにびゅん!と棒を振り下ろす。楽しかったなあ。ときどき空中で分裂して自爆したけど、それがまたいいんだよな。「やめろよ」と言いながらも結局はジュンジも反撃してきたしなあ。青い空をフンが飛びかったなあ。しかしよくあんなにフンがあったなあ。たしかにあのころはフンの掃除とか飼い主しなかったものなあ。フンがなくて今の子はかわいそうだなあ。でも俺たちのときも「枯渇」って日もあったけどなあ。ないとがっかりしたなあ。一度家の中にフンが入っちゃったなあ。逃げたなあ。しかしバカだったなあ。本当にバカだった。とくにキュードン(今、教師)。
『もっさい中学生』もバカだ。爆笑のバカだ。でも輝いている。おっさんから見たらそれはもうキラキラだ。バカも愚鈍も見栄も狂気も孤独も、そして大きな哀しみも、いっさいがっさい金閣寺だ(京都に修学旅行に来た中学生が言いそうな比喩にしてみました)。
正直、これ、自分が中学のときに読んでたら楽しめるかしらん?って思う。いや、もちろん楽しめるよ。だってバカだったからさ。「こいつらバカじゃん」って、自分たちかえりみず笑うとは思う。だけど今はちっと違うんだ。違うふうに読めちゃうんだ。たしかに現在なにかと涙腺が弱いです。吉田大八監督の『桐島、部活やめるってよ』も三か所泣いたし。小学校で心の相談室を担当してる友達からは「ただの中年クライシス(※注、河合隼雄だね)だ、ミカン食って寝ろ」って言われたけど、まあそれも当たってるべ。でもだからこそ言わせてください。小声で。
いいよな。友達って。
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友引の日に退院する、そういうゲンかつぎがあることを知ったら、もっさい中学生の登場人物たちも「ああ」と思ってくれる気がする。いまや彼女たちもみんな中年だろうし。そしたら私がきばって言いますね。蝶ネクタイしめて。
「へい、マスター、彼女たちに、餃子を」