益田ミリ

益田ミリが大切にしてる本らしい。それが意外だったので読んでみた。『二重らせんの私』(柳澤桂子 早川書房 1995)。柳澤が原因不明の難病であることは別の著書で知っていたが、その発症前の、前半生を描いた自伝的エッセイ。こういう場合、二つの楽しみがある。益田はどこに響いたのか?はたして私にも響くのか?
第2次世界大戦のさなか、植物学者の父の赴任に伴って、4歳の柳澤は松山に来た。腹をすかせた学生が出入りするその家で、柳澤は「お花は折られても痛くないの?」と、生物に興味を持つ、そのけなげな姿を益田はかわいらしいと思ったのか?広島に原爆が落ち、空に立ち上る原子雲は松山からも見えた。柳澤の母はあの雲と一緒に御霊が天国に昇って行くのだと黙とうさせた。柳澤は魂は白いものに違いないと思う。その柳澤の感性か?女の研究者はそれだけで結婚できない時代だったのに、かまわず大学進学を考えた、その柳澤の決意か?大学時代、身銭をはたいて、だがほんの少ししか買えない実験道具で実験を成功させる、その柳澤の創意工夫か?アメリカに渡り、生命科学の黎明期に出くわし、本流に自分もいるのだと思う、その柳澤の自負と興奮か?「センセイ」と呼ばれることを好んだ、アメリカ人指導教授の突然の死を、身重の体で聞く柳澤の戸惑いと達観か?病気になり、それでも「私は科学の喜びを存分に味わった後で、科学から見放さるという苦しい経験をした」「けれども私の科学に対する私の愛着は増しこそすれ、減るということはなかった」と書く、その柳澤の科学への愛か?
はたして益田はどこに打たれたのか?それはわからない。だが私は打たれた。上に挙げたところが。
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あとがきに以下の文章がある。「お金がからんできたために、生命科学の様相は一変してしまった。あのコロンビア大学の教授たちの持っていた、豊かな水をたたえた大河のような雰囲気は失われた」これはまさに福岡伸一が『生物と無生物のあいだ』で書いたアメリカの姿だった。蛇足だが、この本と続けて読むとその変化がよくわかって面白いかもしれない。