小山いと子

キンタマの話。
「山で遭難した私は死を感じながら金玉を握った。すると気持ちが落ちついた」。書名、すっ飛んでますけど、以前読んだノンフィクションにそうありました。「海で難破した私はただひとり漂流しながら金玉を握った。すると気持ちが落ちついた」。こちらも書名も著者も脳みそにないんですが、やっぱりノンフィクションで出てきました。
のび太でもジャイアンでもスネ夫でも、男なら誰でも金玉を握ってると、はあ、落ちつくわって先刻御承知ですよね。これって気のせいじゃなくて、実際身体がそういうふうに出来てるらしい。緊張すると金玉が縮み上がりますが、これは交感神経が優位になってるときで、つまりは臨戦態勢ってことなんですかね。戦闘状態にあるときに金玉ブラブラしてたらそりゃもう危険だし、そのためキュッと小さく上がってるんでしょう。反対に金玉がのびのびと泰然自若としてるときは、副交感神経が優位になって、リラックス状態なわけです。だから金玉を優しく握ってると、脳が騙されて副交感神経が働くということかしら。え?違う?
とにかく私が言いたいのは、女性(しずかちゃん)が遭難もしくは漂流した場合、どこを握ればいいんですか、ってことです。
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『人さまざま』(朝日新聞社編 1953)。作家や画家を紹介したコラムを編んだもの。こんなことが書いてある。心理学の研究で、「この文章は男が書いたと思うか?それとも女か?」と尋ねたところ、多くの人が間違えたのが二人の作家。女と言われたのが川端康成で、男と言われたのが小山いと子だった。小山いと子って読んだことないが、こう書かれると読んでみたくなる。ほんで川端康成川端康成って「子供のころ、意味もわからず祝詞を覚えさせられた。だから文章に強い影響を受けてる」って言ってるらしいが、てことは祝詞が女性的ってことなのか?