黒田龍之助『ポケットに外国語を』

黒田龍之助『ボケットに外国語を』(ちくま文庫 2013)読了。
ロシア語には「舌はキエフへ導く」という諺がある。「人に尋ねれば目的地まで正しくたどりつくことができる」という意味だ。舌はロシア語でヤズィクといい、「言語」という意味も持つ。英語のtongueに相当する。
これを読んで以下のことを考えた。なるほど。ロシア語は知らないけど、母国語はmother tongueだ。では日本語の舌はどうか?「饒舌」とか「舌の根も乾かぬうちに」とかはある。つまり「話すこと」「言うこと」の意味はある。だが「言葉」そのものはあるのか?
なんでそんなことを考えたかというと、英語の発音を習うとき、舌の位置の大事さをよく言われるじゃないですか?舌の場所で「虱」か「米」か変わるわけで、つまりは舌の位置が言語そのものと言ってもいい、それでそう考えたわけです。アメリカの子供だって最初は区別が難しいって言うし。
とは言っても日本人だって舌は使ってるわけだ。シとチとヒの区別のつかなさだって地域や子供であるわけだ。でもそこまでベロを意識してない。自然に得た言語はそういうものかもしれない。
てことはこの推理は違うのかしら?
×  ×  ×
ウクライナ政権崩壊」と一面に見出しが載る日に偶然この話題になった。


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